あの頃 その3
ベタなんですが精神的にはまだ青春のつもりですが、そういう強がりじゃなくて実際の青春って…。ねぇ?
ネットで検索してみたところ、中学生〜高校生の間六年間くらいというのが一番多い意見でした。あと、大学時代を含める意見もありましたね。
まあ、そうですよね。早い話、社会に出る前の生徒・学生時代がしっくりきます。
あくまで私の場合ですが、確かに何の責任もない、毎日が理由なく楽しいなんて、この歳になると有り得ませんな🤣
責任は必ず付いてまわりますし、正直理由なく楽しい日なんてそうそう無いです😅
その"貴重"な青春を、よくよく考えてみれば私はかなり無駄に過ごしてたようです。
そう!女っ気がない‼️
誤解がないよう弁解しておきますが、全く「付き合った」ことがないわけではないですよ!
一番最初は小学校時代にピクニック(死語?)に「付き合い」でいきましたし(グループで)、中学・高校時代はボールとミットとバットの三種の神器と毎日「付き合って」ましたし…、て、あれ?やっぱり
女っ気ない‼️
別に女嫌いとかじゃないんですが、小学校の頃ってなんか意識しないじゃないですか。なんなら私中学校まで、小さい順に並んで前から1〜3番目あたりが指定席だったんで、大体の女子が皆んな私よりデカい!(背が高い!)
好きとか嫌いとかよりもっと以前に、女子に負けてる感しか(意味もなく悔しいと😭)なかったです😓
中学・高校くらいになると胸を強調し出す女子も増えてきて、多少は女の子を意識するんですが、なんしか「野球」があったんでそっち(女子)に行く意識が薄かったんですよ。
で、大学。
周りは高校時代から付き合ってる者ももちろんいましたが、やっぱ大学生となるとみんな彼女作りに精を出すわけです。
「あ、俺、彼女とデートあるから、明日はパスな!」
てな感じで、ディスコ隊から1名、また1名、離脱していくわけです。気づけばせっせとディスコ通いしてるのは私だけに😱
前回お話した不条理な失恋?をかました私も、これを踏まえやっと目が覚めるわけです。
そうだ、彼女作ろう!
そうだ!京都に行こう!のパクリじゃないですが、京都行くのと同じテンションくらいで、思いたったのです❗️
ところで、彼女の作り方は、と…。
とりあえず本屋へ行き、HOTDOG PRESとPOPEYEを買ってお勉強です😉
当時のお洒落若人養成雑誌、スマートフォンなどない時代の唯一の情報源。それがこの2大雑誌だったんです!(そう言や、この頃HOW TO本とか流行ってましたね)
さて、どれどれ〜?
ふーん、彼女できたらこういうオシャレなカフェに行けばいいのか…。何なに?デートの時はこういうファッションが今流行りなのか…。
パタン。読み終わり。
え〜!
彼女できてからのことばっかりで、「彼女の作り方」が書いてない😱どゆこと?
何度読み返しても、逆さにしても書いてない!
(そりゃそうだ)
「やっぱり彼女はナンパで作るのか?」
ある日友人に尋ねた私は、その友人から衝撃的な事実を知らされたのです。
「え?俺、バイト先で。」
バイト先?
その友人は◯クド◯ルドでバイトしてまして、そこで一緒にバイトしてる子が彼女でした。
バイト先…。
その瞬間、
そうだ、ディスコ行こ。(遠い目)
そう思った私でした。
私のバイト先は、ビルの空調設備であるダクト(詳しくはググってください)を清掃する会社でした。
んな所に女が居るか‼️
かくして、私の彼女との出会いはまだ遠い物語となるのでした😮💨
GIVE ME UP!
「私のことをあきらめて!」って、なんか妄想彼女に私が言われてるような😮💨
あの頃 その2
野球のボールが恋人だった(いや、単にリアル恋人がいなかっただけです、はい😅)高校生活も無事終え、坊主頭を卒業した私は一人前に大学生となりました。待ってました!待ち焦がれてました!そこからは夢のディスコ狂い‼️
ラジオとMTV、そして小林克也さん(番組名書けよ!)をチェックし、レコード屋はもちろん、古レコード屋も漁り、レンタルレコード屋に入り浸り、行った先のカフェバーのジュークボックスでディスコナンバーをかけまくるという、一種アホなルーティンを週一こなしておりました。
もちろんディスコは3日と開けず、衣装(スーツ、ネクタイ着用の店によく行ってたもんで…)も古着屋回りして、流行りのDCブランドものを買い漁っていたため、費用捻出のため週7でバイト😮💨
私はいつ勉強してたのでしょう🤔思い出せません!
当時ディスコに入るには野郎だけでは入れてくれなかった店もあったんですよ。
なので、ナンパ😅
ナンパと言っても"一緒に入店"してもらうのが目的なもんで、入ってしまえば女の子は放ったらかし。踊り疲れて席に戻ったら、女の子たちが帰ってたなんて日常茶飯事。ある時は、ナンパした女の子が他のグループにナンパされてたなんてことも…😭いやはや、悲しくて恥ずかしい思い出です😂
そんな「女の子<ディスコ」な私がちょっと気になった女の子がいまして…。背が低くて、とにかく可愛い🩷あ、顔ももちろん可愛いかった(と思う。うーん、今となっては顔思いだせん😓)んですが、何が可愛いって、ステップが!小柄な女の子だったので物理的に大きなステップが踏めなかったんでしょうが、チョコチョコ?ぴょこぴょこ?なステップが、ミョーに可愛いかったんです🥰
そのステップがまた見たいがためにすぐに次会う約束取り付けて(あ、なんだ私、今思えばちゃんとナンパしてるわ)、一緒に踊った後その子に言われたんですよ。
「タイプじゃないんで、これっきりで」
いやまあ、確かにその子自体も可愛いかったんで(たぶん😅)、恋愛感情が全くなかったわけではなかったんでしょうが、それよりその"ステップ"が可愛いかったわけで…。よくわからない内にフラれました。
「いや、ここまでディスコ、ディスコ、言っておいて、洋楽なくて尾崎か〜い!」という突っ込みを覚悟しつつ、尾崎豊さんの「ダンスホール」です。
♪洒落た小さなステップ〜♪
今でもこの曲聞くたびに、不条理にフラれた記憶が蘇ります。え?これ、フラれたのかなぁ🤔
あの頃 その1
前回はエディ・ヴァン・ヘイレンの演奏をご紹介したわけですが、マイケル・ジャクソンの「Thriller」が発売された頃、つまり1982年頃は日本は空前のバブル景気前夜でした。
(ちなみにバブル時代と言われるのは一般的には1986年後半かららしいです。)
当時私は毎日朝から晩まで野球、野球の高校球児でした。6時半には学校に行き朝練。
昼休みは昼食後素振り。授業中先生の目を盗んでボールの修繕(敗れた縫い目を糸で縫って補修)。放課後は暗くなるまで練習。家に帰って居眠りしながら晩御飯食べてました😓
そんな頭の中野球しかなかった私が初めて(いや、厳密には再び)野球以外のことに没頭したきっかけが、まさにマイケルでした。
当時、土曜日の深夜にあった「ベストヒットUSA」(みなさんご存じの、小林克也さんの超有名番組)は必ず観てました。(あと、もちろんMTVも😊)
なんか洋楽を知ってることが格好いいってのもあり、また当時はディスコブーム!
坊主頭の野球少年はいつか伸びた髪の毛とともにディスコに行くのが夢だったのでした。
はいはい、ディスコといえば、ここから話さないと始まりませんよね?
やっぱり火付け役となったのは
「サタデーナイトフィーバー」‼️
フィーバーって、たぶん今で言う流行語でしたよね。たぶんこの時期(実際サタデーナイトフィーバーの日本公開は1978年なんで、Thrillerより5年前)くらいから頻繁に使われだしたような…。違ってたらごめんなさい🙇♀️
拙い記憶で書いてるブログなんで、細かいツッコミはご遠慮ください😅炎上御免でお願いします🙇🏻
とにかく、ジョン・トラボルタですよ!
衝撃的でした。トラボルタのカッコ良さ!
顔ももちろん、踊り、そして白いスーツ‼️
あの白い上下、全身真っ白のスーツ!憧れました😭
その後、別の事象(後日書きますね)も相まって
念願の白の上下、買いました〜!からの
似合わね〜‼️
いやあ、想定してたこととは言え、まあ似合わないことこの上ない😮💨
トラボルタくらい逆三角形じゃないと、まあ貧弱(笑)
ある意味いい思い出です😢
劇中でかかる曲ですね(^^)
オープニングは同じビー・ジーズの
「Night Fever」
邦題が「恋のナイトフィーバー」って…。
ま、邦題あるある、ですよね(苦笑)
あ、この映画初めてTV地上波で放送された際、トラボルタの吹き替えを郷ひろみさんが担当してます。
ヒロミゴーがトラボルタ…。納得👌
確かにどっちもカッコいい(^^)



